「イナガワセーホン」は大正13年に「稲川製本所」として創業し、90余年の歴史を持ちます。創業当時から特殊製本に特化し、レコードジャケットや生地の見本帳から、飛び出す絵本やカレンダーと、紙の加工にこだわってきました。
その90余年の中で私は3代目になりますが、私の主義として工場内は絶対整理整頓・清潔主義を貫いています。
昭和20~30年頃は、今のように空調設備も整ってなく、紙が風で舞うのを防ぐため夏も扇風機は控え、冬は火の用心のため暖房も極力控えました。外気と遮断される傾向があるため屋内は紙の切りくずと紙粉、ほこりやパウダー(印刷時に使用される粉)機械油の焦げたにおいとニカワ(動物の骨や皮などから作られた接着剤で釜で熱して使用するため異様な匂いを放つ)の匂いが充満し、おまけに薄暗いといった状況でした。
有名な映画監督で浦山桐郎監督という方が大学在学中にうちの工場でアルバイトをしておられたそうです。その先生の作品に「青春の門」という映画がありました。私もその映画は鑑賞しましたが、作品の中で主人公が製本屋でアルバイトをする場面があり、非常に汚く、薄暗い光景がうちとそっくりで、先生に与えた影響がそのまま出てしまったんだと思ってしまいます・・・。
そういった感覚が自分の心の奥底にデ~ンとかまえているために、工場内はいつも整理整頓、ゴミが落ちていたら直ぐ拾う。工場内や水周り(特にトイレ)に清潔感があると皆さん「いい工場ですね。」と言って頂ける。
職場を誰が見ても好印象を与える場所にするよう努めることはとても重要なことだし、それにより、その工場で作られる製品への信頼、信用が築かれるのだと思います。
大正13年 | 初代 稲川 信二が名古屋市中区松島町に稲川製本所を開業する |
昭和5年 | 名古屋市中区南武平町3-12に移転 |
昭和19年 | 戦災により休業 |
昭和22年 | 中区南武平町3-12の焼け跡地に事務所を再建し、社名を稲川製本紙工所とする |
昭和24年 | 稲川 信二死去により、稲川 順司が代表社員となる |
昭和44年 | 有限会社イナガワセーホンと組織変更する 代表取締役 稲川 順司 |
昭和52年 | 名古屋市中区栄五丁目4-26に本社移転 |
平成元年 | 岐阜県恵那郡岩村町にカレンダー製本専門の工場を開設、 同年、専務取締役に稲川 俊一が就任する |
平成6年 | 名古屋市北区平安通り45に織物見本ブック専門工場開設 |
平成9年 | 名古屋市港区本宮町に、中綴じ、無線綴じ専門の工場を開設 |
平成10年 | 法人組織を有限会社から株式会社に変更する 同時に代表取締役社長に稲川 俊一が就任、 稲川 順司が代表取締役会長となる |
平成28年 5月 | 稲川 俊一が愛知県製本工業組合理事長に就任 |
平成28年 11月 | 稲川 俊一が愛知県優秀技能者表彰(あいちの名工)を受賞 |